生きてるだけで、愛。

多分 私たちが本当に分かり合えたのなんて ほんの一瞬くらい

でも そのほんの一瞬で わたしは生きている

 

 

私も昔は、主人公の抱えている思考や気持ちに陥って、悩まされていました。

多分みんな通る道ですよね。

社会人になって次第に収まっていったのは、ものすごいスピードで目の前を流れていく情報の処理に追われて、心をあまり使わなくなったからだと思います。

処理速度を上げるために脊髄反射的に物事を処理していると、頭で考えるという回路が使われることがなくなっていきます。

そういう社会に溶け込むトレーニングの結果、私はいろんなことに鈍感になり、こんにちの生活があるのだと思います。

 

私の妹は現在も主人公のような考え方の持ち主で、社会で継続して働くことが時々難しいときがあります。

妹の話を聞くと、経験側から、なぜそこで足踏みしているのかと腹立たしく思ってしまいます。

そして、今回映画を見て、私も同じように感じていたその当時のもどかしさや情けなさ、そういったものが蘇ってきました。

社会の歯車の一部になる代わりに、なにか失ってたんだなと気づきました。

妹に能力がないのではなく、私がなくしていたんだな、と。 

 

彼氏について、自分を振り回す彼女を受け止めているようで、遠くから傍観している、そんな印象を受けました。

確かに、私も妹と真剣に話したりすると、ものの数時間で自分の生気を持っていかれる感覚になるので、車間距離は大事にしようと思っています(笑)

そんな妹には長年付き合っている彼氏がおり、私はその彼氏ただただ感服です。

そんなわけで、映画の彼氏もはんぱないスルースキルの持ち主だなと、(笑)

 

主人公や妹は、すべてに真剣なだけなのですが、真剣に生きると、生きにくいのが世界なんですね。

やっぱり私は、度のあってない眼鏡で見るくらいがちょうどいいのかなと思います。

 

そして、映画最後のセリフがお気に入りになりました。

どんなに近くに居て、理解したい、理解してほしいと思っても、ほとんど分かり合うことはできない。

それでも分かり合いたいと思える人と、これから先一緒にいれたらいいなと思います。